家族介護と介護保険制度

ヘルパーステーションゆいま~る 管理責任者 石鍋政美

今から3年程前に、母が認知症になりました。
「アルツハイマー型認知症とレビー小体型認知症とが併発したような病態です」との診断でした。

母と同居の私は、日々の物忘れは年齢と共に起こるものと、何度同じことをきかれても返答していました。
ところがある日、会社から帰宅すると、「今日、銀行にカードでお金を下ろしに行ったけど、お金を下ろすことができなかった。カードが使えなくなってしまった。改めて銀行の窓口までお越しくださいと書いてあった」と私に話しました。
どうやら暗証番号がわらなくなってしまい、何度も試すうちに使用できなくなってしまったようでした。
翌日母と一緒に銀行に再発行手続きに行った時、母は自分の名前すら書けなくなっていました。
私は「嘘でしょう? 自分の名前が書けないなんて・・・」と思い、初めて頭の中に「認知症」という言葉が浮かびました。
その時のことは今でも鮮明に思い出されます。
その日から、一緒にお風呂に入り、母の部屋のベッドの隣で寝る生活が始まりました。

母は我が家の家事を一手に担って頑張ってくれていたので、それはもう大変な毎日の始まりでした。
病状はとても進行が早く、家に一人でいることが難しくなりました。
ケアマネジャーに介護保険申請を依頼すると要介護3。
デイサービスとショートステイを利用することになったものの、歯磨き、服薬、着替え全てにおいて介助が必要で、送り出しやお迎え等は夫、息子、娘、もちろん私も交代で行い、みんな仕事があり時間調整をしながらの毎日に、徐々にストレスが溜まってきているのが手に取るようにわかりました。

住み慣れた自宅で過ごせる事、環境を変えない事が、母にとって良い事と思っていました。
そんな生活から一年半が過ぎようとしていた頃、私自身が体調不良で手術をしなくてはならなくなったのです。
このまま母を家に置き、家族への負担をかけ続けるわけにはいかない。
でも、家族同士今まで支え合いながら頑張ってきた。
そんな自分の中での葛藤の末、介護老人保健施設への入所に踏み切ることになりました。
母は施設に慣れるだろうか? 施設料金は毎月支払っていけるだろうか? 心配ごとだらけでした。
そんな母は、今では「幸(さっ)ちゃん」と呼ばれ、施設にすっかり馴染んでいます。

この経験は、介護職の世界に居ながらにして、家族介護の大変さと、改めて介護保険制度のありがたみ、介護はひとりで抱え込んでできるものではない事を教えてくれました。

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