今年の夏は猛暑続きで、サービスに出ると滝のような汗をかき、熱中症かな?と感じた人が多かったと思います。
10月に入りやっと涼しくなり、過ごしやすい季節になりました。
私が介護の仕事をするようになったきっかけですが、かれこれ36年くらい前に母の目が見えにくくなり、調べると糖尿病が原因と解り、そのとき母はまだ40代後半でした。
その数年後に父が脳内出血で倒れ緊急手術、右半身麻痺と失語症に。
51歳と若かった事もあり、山梨にある温泉病院でリハビリをして自宅に戻ってきました。
右下肢に装具を履き、杖をつき、午前中は姉と一緒に近所を歩行訓練、自宅のトイレは一人で行けましたが、入浴は母と私で介助をしていました。
当時は今のようなシャワーチェアが無く、立ち上がりやすい高さの風呂用の椅子を木で作ってもらいました(昔は木で浴槽を作る店が近所にあった)。
当時のお風呂は四角く深い浴槽で、麻痺側の足を持ち上げてあげれば跨ぎができ、立ち上がりは自力でできていました(若い!)。
父が倒れて間もなく母は全盲になり、視覚障害者をサポートするガイドヘルパーさんにお世話になり、上野や浅草の演芸場や、遠くでは鎌倉のあじさい寺等々、アリオ亀有ができた時は家族の誰よりも先に行ったりと、活動的に外出をしていました。
ところが今度はS状結腸にたくさんのポリープができ、腸が塞がれ切除、人工肛門となり、ストマー生活と時同じくしてインスリンの自己注射が始まりました。
朝夕食前のインスリン注射は私が行っていましたが、ストマー処理は逝く数日前まで自身で行う気丈な母でした。
入院している母の病室を出る前に必ず布団をかけるのですが、「とても気持ち良くかけてくれるね」といつも言ってくれました。
「何で?」と尋ねると「バサッとかける人ばかり」と。
髪をカットしたいと病院の近くにあった美容院に行った時は、担当した男性スタッフが休憩後だったのか、「とてもタバコ臭かった」と一言。
ちょっとした気遣いで相手に与える印象が違うことに気づかされた一面でした。
60歳の誕生日が過ぎると父は特別養護老人ホームに入所でき、元気に過ごしていました。
外泊で自宅に戻った時に下痢をしてしまい、さてどうやっておむつ交換する?と考え、母と二人で何とか協力して行いましたがとても大変だったと記憶しています。
介護の勉強をしようと思ったのはここからです。
42歳の時にヘルパー2級の資格を取得し、家の近くにあったゆいま~る葛飾(神社脇)で登録ヘルパーとして働き、本社4階で視覚障害者ガイドヘルパーの資格も取得しました。
両親にたくさん心配をかけた娘が、60代の父のおむつ交換をした時は、複雑な気持ちだったのかそっと枕元にあったタオルを自身の顔にかけた姿を思い出し涙が出てしまいました。
両親が障害者となり、たくさんの方にお世話になり、私自身いろいろなことを学び今の仕事に役立っています。
介護の仕事に就くきっかけをくれた両親に感謝しています。
ゆいま~る葛飾でお世話になり、登録から数えると18年目、頼りになるチーフをはじめ良い仲間に支えられ今まで来ることができました。
私に関わってくださる皆様に感謝の気持ちを伝えます。
ありがとうございます。