6月の末に佐渡に行ってきました。天気にも恵まれ楽しい旅でした。
佐渡は一度は訪ねてみたい、私にとってとても懐かしい島でした。
というのも、昭和40年代から介護保険が始まる前まで、家政婦紹介所に看護補助者(付き添いさん)として、佐渡から農閑期になると20名近くの人が来て働いていました。真面目で実直な人柄がとても喜ばれました。
当時は高速船などなかったので、夕方の連絡船で出発して、新潟からは夜行列車に乗って、明け方に上野に到着しました。
宅急便などもまだ普及していませんでしたから、着替えその他大きな荷物を背負っての上京でした。
お土産に頂いた佐渡の天日干しのお米の味は今でも忘れられません。
「海がきれいだよ」、「魚も美味しいよ」、「遊びに来て」といわれましたが、行く機会がないまま近くて遠い島でした。
今回やっと実現し、2泊3日のツアーでしたが全島を一周しました。懐かしい地名が沢山出てきました。
懐かしい顔が浮かび、元気なら90歳をとうに超えているだろうなと思いながら帰ってまいりました。
佐渡は日本で沖縄本島に次いで二番目に大きな島とのこと。イメージしていたよりもずっと豊かな島でした。
流刑の島、金山等がよく知られていますが、鎌倉時代に北条義時の討伐に失敗した順徳上皇が24歳の若さで流刑され(承久の変)、22年後この地で亡くなられ埋葬された御火葬塚は、桜と松が植えられて、現在も宮内庁の管理で警護されているそうです。
また、日蓮上人や観世元清など貴族階級の流人によってもたらされた貴族文化も残っており、能楽も盛んです。
大人の休日倶楽部のコマーシャルで吉永小百合が訪れ有名になった、狭い路地に船大工によって建築された三角の狭小住宅が残る宿根木(しゅくねぎ)など、北前船によって栄えた町並みが残されています。
現在佐渡は、町村合併して全島で佐渡市となっています。過疎化が進んでいるようですが、古き良き佐渡の文化は是非残してほしいと思いました。